ありのままの上海…写真家《中田 博之》が写す”裏も表もない”人々の姿

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アジアでも有数の大都市である中国の“上海(しゃんはい)”。国内ではビジネス・文化・政治などの面で北京を凌ぐ国家中心都市である。

写真家の《中田 博之》氏は1999年から上海に住み、そこに暮らす人々や街の姿を撮り続けている。そこに写る人々の顔には、「裏も表もない」ありのままに生きる純粋さと力強さを感じる事ができる。

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中国国内でもトップクラスの大都市である上海。中国の急激な経済発展の中心でもあるこの都市は、発展と反比例するように様々な問題がある。

大規模な都市化によって国内外からの出稼ぎ労働者によっておこる戸籍問題。そこに起きる貧富の格差や、キャパオーバーとも思える文化の発展。

勿論、アジアの大国が発展するためには必要な要素ではあるが、その大きな流れの中に取り残されて行く人々も少なくないだろう。

中田 博之 氏の写真には、そんな政治や経済の発展の渦中でありのままに生きる人々の姿がある

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中田 博之氏は自身の撮る写真について以下のように言っている。

 

『私の撮影嗜好はストリートの「生きる造形物たち」をカメラに収めることです。本格的に写真を撮り始めたのは2008年からです。

写真撮影は自分の内なる精神の欲望を満たす手段のひとつ。それ以上でも、それ以下でもないのです。

言ってみれば好奇心の発露と言えますね。』

 

隣国の違う民族に対する我々の倫理観など意せず、ただ知らない場所の知らない人たちを写す”好奇心”。それは写真が世界に存在する理由のひとつかもしれない。

世界に類を見ない発展と問題を抱える大国で生きる子どもたちの無垢な表情。

長い人生で経済成長の中にある様々な感情を見てきたお年寄りの深い皺や垂れた皮膚。

ネットの普及により世界との繋がりを強く持ち、これから世界へ表現を発信しようとする若者の意思。

あるいはそんな渦巻く社会に興味など持たず、ただ過ぎて行く時間に身を委ねる人々。

中田 博之氏の写真には、人々の感情や人生を自然とこちら側に投げかけてくれる力がある。新聞やニュースから得る”情報としての上海”ではなく、そこに住み目に映る”ありのままの上海”があるからこそだろう。

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筆者は仕事上、ヨーロッパや南米、近年ではアジアに行く事も増えてきた。中田 博之氏の写真を見て、今年のはじめにインドに初めて行った時の事を思い出す。

それは街の風景や人々の表情や服装だ。経済発展国ならではの事かもしれないが、独特なノスタルジーを感じるのだ。

終戦直後に生まれた筆者の上司は、インドの光景を見てこう漏らしていた。「まるで子どもの頃、経済と文化の発展に一生懸命になっていた日本を見ているようだ。」と。

勢いのある大企業のビルが建つ中心街や、インフラの優先順位で整って行く場所はそれなりに固まった地域に密集する。少し路地を入れば、本当に経済成長著しい国かと思う程の光景がそこにはあった。

私は仕事以外でも東南アジアに旅をしに行くのだが、そのような路地にこそ本当の生活があるように思う。生きている光景は生活にあり、好奇心をそそられることが多いと感じる。

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中田 博之氏は”ストリートフォトグラフィ”にこだわり、常にフィールドにいることが重要と唱える。モノクロ写真の金字塔である”森山大道“が「新宿」に居続けたことを、「上海」に置き換えただけとも言っている。

中田 博之氏は今年で上海に住み映って15年になる。写真は随時 flickr にあげられていて、その数は膨大だ。ここに掲載している写真はその中のごくほんの一部であり、季節や時間を問わず様々な上海の姿を覗く事が出来る。

これからの上海がどのように発展していこうと、そこに住む人々の表情は”ただそこにあり”、中田 博之氏の好奇心の対象になり続けるだろう。

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